平成29年8月26日、福島県の会津地方を廻りました。
福島県猪苗代町 磐 椅 神 社 (御朱印無し)
土 津 神 社
諏 訪 神 社 (御朱印無し)
磐椅神社は陸奥国耶磨郡の延喜式内社で、磐梯山の山岳信仰に由来しています。
徳川三代将軍家光公の異母弟で、会津松平家初代藩主 保科正之公が、
磐椅神社の末社として祀るように遺言し、創建されたのが土津神社です。
福島県猪苗代町 磐 椅 神 社
社号標の立つ参道入口には、鳥居はありません。 右の倉庫の影には、
石灯篭や庭石、池を配した庭園が有りますが、左の住宅の庭かな。
その倉庫の右側には、諏訪神社の鳥居があります。
参道の先には小さなお社や、左の石段の上には
猪苗代町 諏 訪 神 社
諏訪神社の左には、磐椅神社の参道が通っています。
砂利道の参道は、神社まで600m程続いていました。
案内板
由緒書
左には、古い社殿が一棟。
神社前の小さな水路を橋で渡ると、
御神木の
鳥居杉。
鳥居の右に社務所が建っていましたが、無人で御朱印は頂けませんでした。
左には、稲荷神社と境内社等。
正面に拝殿。
本殿
神社前から西に砂利道を辿ると、町道に出ます。 道路向かいには、
鳥居が有りますが、
こちらは、土津神社の裏参道です。 左に下って、町道なりに西に進むと、
猪苗代町 土 津 神 社
案内板
案内図
鳥居
由緒書
石段を登ると更に石段。 その先には、拝殿と右に神楽殿。 ここの右の、
亀石の上に乗っているのが、土津神社霊神之碑です。
この石碑の四面には、たくさんの文字が同様に刻まれていました。
その背後は、裏参道の先の自動車修祓所です。
案内板
古い度量衡だったので、大きさが分かり易い古い案内板。
拝殿
拝殿前から右に、神楽殿の横を抜け、正面には奥の院への参道入口があります。
本殿
右に境内社。
奥の院への参道には、石畳が敷かれていました。
参道からの境内社と本殿。
参道は町道を横切り、更に続いています。
こちらが奥の院です。
垣根の内側には、「會津中将源君之墓」と刻まれた墓標と、その背後に墳墓がありました。
格式の高い延喜式内社よりも、その末社の方が広く立派な神社という組み合わせは
珍しく感じられました。
徳川家関連の神社なので、しょうがないのかも知れませんが。
福島県猪苗代町 磐 椅 神 社 (御朱印無し)
土 津 神 社
諏 訪 神 社 (御朱印無し)
磐椅神社は陸奥国耶磨郡の延喜式内社で、磐梯山の山岳信仰に由来しています。
徳川三代将軍家光公の異母弟で、会津松平家初代藩主 保科正之公が、
磐椅神社の末社として祀るように遺言し、創建されたのが土津神社です。
福島県猪苗代町 磐 椅 神 社
社号標の立つ参道入口には、鳥居はありません。 右の倉庫の影には、
石灯篭や庭石、池を配した庭園が有りますが、左の住宅の庭かな。
その倉庫の右側には、諏訪神社の鳥居があります。
参道の先には小さなお社や、左の石段の上には
猪苗代町 諏 訪 神 社
諏訪神社の左には、磐椅神社の参道が通っています。
砂利道の参道は、神社まで600m程続いていました。
案内板
由緒書
左には、古い社殿が一棟。
神社前の小さな水路を橋で渡ると、
御神木の
鳥居杉。
鳥居の右に社務所が建っていましたが、無人で御朱印は頂けませんでした。
左には、稲荷神社と境内社等。
正面に拝殿。
本殿
神社前から西に砂利道を辿ると、町道に出ます。 道路向かいには、
鳥居が有りますが、
こちらは、土津神社の裏参道です。 左に下って、町道なりに西に進むと、
猪苗代町 土 津 神 社
案内板
案内図
鳥居
由緒書
石段を登ると更に石段。 その先には、拝殿と右に神楽殿。 ここの右の、
亀石の上に乗っているのが、土津神社霊神之碑です。
この石碑の四面には、たくさんの文字が同様に刻まれていました。
その背後は、裏参道の先の自動車修祓所です。
案内板
古い度量衡だったので、大きさが分かり易い古い案内板。
拝殿
拝殿前から右に、神楽殿の横を抜け、正面には奥の院への参道入口があります。
本殿
右に境内社。
奥の院への参道には、石畳が敷かれていました。
参道からの境内社と本殿。
参道は町道を横切り、更に続いています。
こちらが奥の院です。
垣根の内側には、「會津中将源君之墓」と刻まれた墓標と、その背後に墳墓がありました。
格式の高い延喜式内社よりも、その末社の方が広く立派な神社という組み合わせは
珍しく感じられました。
徳川家関連の神社なので、しょうがないのかも知れませんが。
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