延喜式内社 陸奥国 新田郡 小松神社の論社に、令和7年5月1日に参拝しました。

          子 松 神 社          宮城県大崎市古川新田


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以前、このブログ内の記事、「 延喜式内社 ( 旧新田郡 ) 小松神社 」内で、
以下の考察をしていました。


「 小松神社の所在地は、「式内社調査報告」に以下の様な7つの分類が記載されているそうです。


  1. 栗田寛「神祇志料」には、安積郡小松村。             福島県郡山市付近?
    
  2. 吉田東伍は、遠田郡田尻町。                   ( 大崎八幡神社 )

  3. 鈴鹿連胤「参拝録」には、田村郡常葉村。             福島県田村市の小松神社。

  4. 「地理志料」には、佐沼新田坂戸の小山祠。

  5. 「大日本史神祇志」には、栗原郡新田村坂戸の小山祠。

  6. 登米郡新田町の村社、小松神社。

  7. 玉造郡東大崎村新田の村社、小松神社。             大崎市古川新田の小松神社。

2.4.5.6について調べると、
今回参拝した 宮城県登米市迫町新田西坂戸の小松神社に、全てつながりそうです。

「2.の考察」          遠田郡田尻町は現在の大崎市田尻です。
宮城県神社庁のHPで、田尻の大崎八幡神社を調べると、
http://www.miyagi-jinjacho.or.jp/jinja-search/detail.php?code=310020479
「延喜式内社新田郡子松神社(即ち新田の柵の守護神)の旧所在地とも云われている。
(吉田東伍博士著大日本地名辞書参照)
現登米郡迫町坂戸に鎮座した子松神社は即ちこれである。」
登米郡迫町坂戸は、現在の登米市迫町新田坂戸だと思われます。

「4.5.6の考察」
栗原郡新田村は、明治11年に栗原郡から登米郡に移管されます。
昭和30年に、新田村は佐沼町・北方村と合併し迫町となります。
平成17年に、平成の大合併における登米郡8町と本吉郡津山町との合併により登米市となります。

「3.福島県田村市の小松神社」
陸奥国旧新田郡は、現在の宮城県栗原市付近で、
「式内社調査報告」では距離が離れ過ぎている理由で、否定されている様です。

「1.安積郡小松村」
安積郡小松村は現在の福島県郡山市付近で、これも距離が離れ過ぎている様です。

登米市迫町新田西坂戸は伊豆沼の南岸に位置し、その北岸は栗原市若柳となります。
現地に由緒書きは無く、社号標も新しく、村社と刻まれた痕跡はありませんが、
坂戸には他に子松神社を見付けられませんでしたので、こちらがその論社なのかも知れません。 」

今回は、「 7.小松神社 」の参拝です。
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一の鳥居
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二の鳥居
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左の壁面に、御由緒
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参道
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拝殿
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扁額
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参道左手に、石の扁額3枚
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その左手に、石碑
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石碑の案内板
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境内左手に参道に向かって、神輿殿
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社殿左手に、境内社と石祠等
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本殿左手に、3基の愛宕山石碑


「 7.小松神社 」の考察

御由緒内にも書かれていますが、
HP「 延喜式神社の調査」の、大崎市田尻「 大崎八幡神社 」の記事内で、

大崎八幡神社
 ( 前 略 )
そこで私は安永2年(1772年・198年前)書出の(風土記)当時の四社が後世に至って合併せられ、
子松神社と改称したのではないかとの疑問を抱き、早速大先輩の岩出山町下野目の多田武彦老宮司へ   照会しましたところ

一、東大崎新田の子松神社は元々からの子松神社ではない。従って延喜式でもない。往年仙台東照宮の高崎多計志先生もかく云って居られた。
二、明治初年に新田村々内の四神社を合併した際、新田村に困んで登米郡新田村の子松神社になぞらへて、子松神社と改称したまでである。 と御回答に接し、初めて年来の疑問がここに氷解したのであります。

 ( 後 略 )
昭和46年8月大吉

宮司 豊原誠一 


   ※※ この項目の全文を読むと、たいへん興味深い事が書かれています ※※


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一の鳥居前には、船形連峰